宗教を信じない理由、信者が大嫌いな理由。

良い記事です

Hollow Man - 神なき時代の「人生の目的」

キリスト教でも仏教でも黙って信じていれば、人生の目的など考える必要はないのに、どうしてそうしないで悩み苦しむのか。宗教家に言わせれば愚かな事らしいが、こちらから見れば、自分の頭を使わないで他の誰かの考えをそのまま信じるなんて、それこそ愚か者のする事だと思う。自分で考えて行動して得た結果でしか学べないのが人間というものだ。その最初の「自分で考えて」を放棄してしまったら、生きる事について何一つ学ぶことなど出来やしない。

宗教で生活している人、宗教を職業にしている人達の大部分は、神様や仏様が実在するとは思っていないだろう。本当に真剣に信仰しているなら霊魂やら天国やらが作り事だという確信を持っているはずだ。それでも、これが悩み苦しんでいる人達にとって必要であり、善いことであると信じて、仕事として行っている。この商品は、世の人の役に立つ大変善いものであるから、これを売ることは大変に善いことである…という訳だ。粗悪な商品を強引に売りつけようとする輩は別として、正直な商売をしている宗教家ならば、基本的にそんなに悪い人間ではないのだろう。

辟易するのは、職業でなく宗教の教えを信じている信者という人達だ。彼らは、基本的に頑迷であり、他人の言うことを聞く耳を持たない。素性も知らない見たこともない神様とか仏様の存在を信じられるという事自体が、盲目的で心が頑なである証拠だ。自分自身が何も救われていない事には気づかず、神様仏様の代理人であるかのように、「信仰心を持たない不幸な人達」「神様の存在を感じる事ができない気の毒な人達」を救うために説教しようとする。こちらからすると頑迷な大馬鹿者と思っている相手から、「あなたは大変可哀想な人だ。あなたを救ってあげたい。」などと蔑まれるのだから大変腹立たしい。

自分が死んだら、仏を信じていない坊主に謎のお経を唱えられたり、地下に埋められて出てこられないように上に大きな石を置かれるような扱いは御免被りたい。そういう事を奇妙な習慣だ、よく考えてみると意味不明だと、皆が思うようになるまで宗教は必要悪として容認されるだろう。悪とは言い過ぎと思うでしょうか。けれども、有りもしない事を信じさせて一生を無駄にさせるのだからこれは悪と言わねばならない。未来のいつか、人間が神や仏に依らない生き方、人生の目的を確立できたら宗教というのは全て滅してしまうのが良い。その日は、近づいていると思う。

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