なぜかロードバイク

Think about

ロードバイクを買った.お金が全くないのに,である.

私は29才で働いていない.正確に言うと,大学院の博士課程にいる.で,バイトをしているぐらいである.で,アラサーにして,貯金は10万円ぐらい.当たり前だがいい年をして,親から仕送りなどあるはずもない.

大学をなんとなく修士まで進んで,なんとなく,地元近くの会社に就職をした.今の日本ではよくあることらしいが,弊社ももれなくいわゆるブラック企業であった.ガテンな社風,当たり前みたいな深夜までのサービス残業,休日出勤の日々に耐えれず,二年ほどで会社を辞めた.辞めてよかったと思う.辞める!という意思が残っている間に行動できてよかったと思う.あのままやっていれば,いずれ心身共に壊していた.

行く当てがないので,元いた大学のラボにお願いをして,拾ってもらった.修士の次は博士課程で,3年間通う必要がある.3年間の猶予が出来た.ほっと一息つく.しかし猶予といっても,博士課程は大変だ.しっかり結果を出して,しっかり論文を書かないと,卒業させてはもらえない.

いま,その3年間のうちの2年間が過ぎた,論文は一つも出していない.やる気もない.というか,はっきり言って,今自分は鬱だと思う.起きあがるのすら,一生懸命エネルギーを絞り出して,なんとか起き上り,命からがらラボに向かう,といった様子である.あと1年間で論文を2つ書いて審査に通らないといけない.やる気も気力もないのに,である.

今,私は道に迷っている,と思う.いい年をして,自分が何者で,何をしたいか,全く分からない.それを考える時期,ということなのかな.無事に博士課程を卒業できたとして,30才.もう,30才.なにもせず,ただ息をしてきた30年.

..と,このようなことを考えて,また憂鬱になり,起き上がれなくなり,今日も日は上り,日は下り,勝手に1日日付が進み,私を崖にまた一歩追いやるのである.恐ろしい.怖い.

アントニオ猪木の「元気があれば,なんでもできる」という言葉がめちゃくちゃ心にしみて,涙をこぼしたことがあった.その通りだ!と思った.元気があれば,本当になんでもできる.逆をいうと,元気がなくては,何一つできない.沈んでいく夕日を眺めて涙を浮かべながら,「せめて,どうすれば元気がでるのか」を考えようと思った.自分という人間はどうすれば元気が出るのか.どうすれば楽しいのか.まず,それを考えようと思った.元気が出たら,前向きな気持ちになって,論文もかけて,どこか就職も出来て,人生が少しは好転するかも?と思った.

そこでやっとロードバイクが登場するのである.きっかけはなんだったのだろう.多分Youtubeで適当に動画を見ていて,ある男性がロードバイクにのって,綺麗な景色の町を走るその様子を収めた動画を見たのだ.「いいなあ」と思った.自転車に乗って,運動して汗かいて,綺麗な景色を見て,お風呂に入って眠ったら,きっと活力がわいてくるのでは?と思った.物欲もほとんどなくなっていた私に珍しく「ほしい」という欲を起こしてくれた自転車.この気持ちを逃してはならない,と思い,ろくに調べもせずにすぐに購入手続きを取った.MERIDAのSculura 100 2017モデル.それが初めて買ったロードバイクだった.

今日が2017/08/21. ロードバイクを受け取ったのが,2017/07/29なので,ほぼ1カ月たった.ロードバイクはめちゃくちゃ楽しい.一漕ぎ一漕ぎビュンと進んで,風も進む.夏の匂いと自分の鼓動と汗.目的地がないのに,どこかに行きたくなる気持ち.逃避癖のある私にピッタリだ.逃げたくなった時に,文字通り,一時的にどこかに逃避させてくれる.もう何度も一緒に逃避をした.ちょっとでも気が落ち込んだり,嫌になったりしたら,自転車にまたがってゆく当てもなくどこかに出かけた.自暴自棄な不良だったなら,ここで大型バイクで爆音とともに夜のとばりに消えるのかもしれないが,私は鬱の無職の中年なので,自転車でその辺を走るだけである.でも,それでもよかった.嫌な気持ちが,汗と一緒に流れ,それが風にのってどこかに消えていく心持がした.

「死にたくなったら,自転車をこげ」

この自分的格言が,田舎町で独りポツンと息をしている29才の男の心に,生まれた.死にたくない,元気に,活力をもって生きて行きたい.楽しく,笑っていたい.奮闘は続く.

元の投稿を表示

なぜかロードバイク」への2件のフィードバック

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください